漫画『漂流教室』に学ぶ教訓
非常事態の際の心構え

『漂流教室』は、いわずと知れた漫画家・楳図かずおの名作である。平和だった小学生の日常が、ある日の一瞬の出来事によって小学校の校舎丸ごとタイムスリップしてしまった。人・植物・生き物、何にもなくなってしまった荒涼の未来で、幼い児童たちが非情にもにも生きるか死ぬかのサバイバルを繰り広げる物語だ。
大人たちも尻込みする”人類滅亡後の未来へ来てしまった”という非常事態に、児童たちはどう立ち向かい、適応していったのか。その教訓は命を懸けるような非常事態を知らずに生きてきた現代人にとって、今後大きなヒントになるに違いない!



『漂流教室』が令和に語りかけること

『漂流教室』は1972年に『週刊少年サンデー』で連載された楳図かずおの名作漫画だ。今から約50年も前の作品が、令和に起こった最初の伝染病・新型コロナウイルスによる緊急・非常事態ほか、今後やってくるかもしれない緊迫した状況に、私たちは一体どのような心構えをなすべきかを静かに教えてくれる。

『漂流教室』の主人公である小学6年生の高松翔を含む大和小学校の教師・児童862人が、ある朝ものすごい轟音とともに校舎ごと姿を消した。彼ら突然の爆発で死んでしまったわけではない。平和であった世界とは別の、荒れ果てた未来の地で生きていたのだ。
いつもと変わらぬ平和な日常が、ある日を境に突然失われ、伝染病・食料不安・権力闘争など、児童は決死のサバイバル生活へと突入する。

大人である教師たちは、置かれた非現実に耐えられなくなり、平常心を保てず自ら狂い早々に滅びていった。残された子供たちはいかにして活路を見出し、人類滅亡後の未来の世界に順応し生き抜いたのだろうか!?

大東亜戦争から約80年が経過し、戦争という一大事を経験した者は周囲を見渡しても数少なくなっている。2011年に起きた東北大震災は危機を極めた大惨事であったが、私を含め西日本に住む人間にとっては実のところ大した実感はなく、対岸の火事でしかなかった。
しかし2020年に訪れた新型コロナウイルスによる恐怖の波は、瞬く間に日本を含む全世界を覆ってしまった。ペスト・コレラ・結核といった疫病もまた、現代人にとっては過去のよそ事であったものが、目の前で歴史物語が繰り広げられるがごとく、もの凄いスピードで驚くようなニュースが日々更新された。

大和小学校の児童たちと同様に、今までのように私たちが年中平和ボケを愉しむ時代は、しばらくお預けになるかもしれない。

そんな時世においても悲観せず、冷静に過酷な時代を生き抜くには!?
『漂流教室』で荒れ果てた未来にタイムスリップしながらも、自分たちの未来への希望を捨てずに何が何でも生きていく覚悟を持つ彼らの姿は、今と今後の私たちの道しるべになるだろう。



『漂流教室』を読んで考えた、非常時における5つの心構え

『漂流教室』の児童たちは非常事態にどう立ち向かったのか。個人の見解を踏まえ5つにまとめてみた。

状況把握ができるまで無暗に動かない

『漂流教室』における非常事態は大地震同様突如やってきた。だが台風や地震といった自然災害による有事とは違う点それは、人類が経験したことがなく誰も想像もできない事態に遭遇してしまったことだ。
まず自分がどこにいて、何が起きてしまったか大人も子どもも、はじめは誰も真実が分からないのだ。

当然のように人々はパニックになる。ある者は倒れ、ある者は狂い、ある者は当てもなく逃げる。
教師と児童しかいない校舎で、真っ先にパニックになったのは子どもではなく大人である教師の方であった。『漂流教室』に登場した多くの教師たちは、”未来に来てしまった”事実を知ることもなく早々に死んでいってしまった。
過去に起こった高層ビル火災においては、冷静に考えれば飛び降りれば死んでしまうと分かっていながら、危機的局面に遭遇した時には、追い詰められ高さも忘れ一心に逃げるという事例があった。それと同様の心理と考えられる。

そんな中主人公の高松翔や頭脳明晰な天才児・我猛(がもう)は、様々な事象を冷静に見つめ、ある仮説を心の中で考え始める「自分たちは未来に来てしまったのではないだろうか」と。しかしその考えをすぐに大声で叫ぶことはない。決定的な証拠を見つけたのち、さらなるパニックにならぬよう、下級生にも分かるよう事態を分かりやすく説明したのだ。

非常事態においては、まずはその場から逃れるのが一番と考えそうであるが、パニック頭脳のまま右へ左へと動くことは時に危険を伴う。冷静に状況を判断したうえで動くことが大事であると、『漂流教室』から読み取れる。

今までの常識を捨てる

一度掴んだものを手放すのは難しい。生まれてからの年月が長ければ長いほど、染み付いた『常識』は、手放しにくいようだ。

『漂流教室』においては、生まれてからの年月が長い大人たちは「どことも分からぬ世界へ来てしまった」という前代未聞の事態に、心も身体も適応できず、慌てふためき滅びていった。
一方の子供たちはというと、生まれてからの年月が短い分染み付いた常識がまだ浅い。よって、状況把握に努めた結果、今までの経験や知見から大きく異なる未知の状況であると判断すれば、これまでの常識はあっさり捨ててしまうことができた。

近年「100年に1度、1000年に1度の災害」と耳にする。1000年前の人間は今も生きているはずもなく、たとえ100歳の人間であろうが、生まれてこのかた経験したことがない出来事に遭遇する可能性が大いにあるわけだ。
令和2年の新型コロナウイルスがいい例だ。経験した者がいない未曽有の出来事に、私たちは今後も出くわすことがあるだろう。

『漂流教室』の大人たちは、「前例がない」ことにばかり気を取られ、今をどうやり過ごすか示すことができなかった。
その点子供たちは、過去ではなく未来に焦点を合わせ、今をどう生きるか、未来の自分たちのために食料を探し災難を回避する方法を模索し、創り出すことができた。

困難な状況においても、未来に焦点を合わせることができれば、おのずと今までの常識に縛られることなく、前に進めるのではなかろうか。

情けは人のためならず

極限の世界において、人を憎めばやがては自分の命をも脅かす殺戮の世界になる。そして我可愛さに食料を独り占めをすることは、すなわち誰かに独り占めされることを表し、自分を飢えさせる。
だからこそ、争いを少なく秩序を持って生きる。

これは東日本大震災の時に、島国・日本が世界に示した事柄ではないだろうか。
陸続きの大陸の中で、国同士の争いが絶えない地に生まれ育った人々にとって、食料に限りあるあのような非常時に、略奪や暴動もなく混乱の最中でも秩序を持ち、時に規則正しく列を作って静かに配給を待つ日本人の姿は、賞賛とともに奇妙に映ったかもしれない。

『漂流教室』においても、略奪・暴動があった。あったからこそ、略奪・暴動からは何も生まれないことを学び、大和小学校の生き残った児童たちは、物語の最後には険しい世界でも規律を守りみんなが助かるために、共存していくこと決めた。

「情けは人のためならず」というのは、気遣いや思いやりは他人のためにかけるのではない、巡り巡って自分を大切にする奥の手であるのだ。

信念を持つ

物語の中盤あたり、校内でペスト菌感染が疑われる児童第1号が発見されたときに、大和小学校国の総理大臣として児童をまとめる主人公の高松翔は、サバイバルが長くなるにつれ徐々に意見がかみ合わなくなってきた仲間にこう言った。
「このさいはっきり心の持ち方を決めたい。
まず僕たちは【生き抜く】ということに目的がある。
例えもうだめだということが分かった時でも、一瞬の可能性をつくりだすんだ!この手で!!
あらゆる方法で生きのびる手をつくらなくてはならないと思うんだ。【つくる】という部分をしっかり考えてほしいんだ」


同じ頃、現代に生きる高松翔の母もまた息子と同じよう決死の覚悟で生きていた。ペストの治療薬を何としても手に入れ、息子の手に確実に届くように未来へ送るのだと。母は必ず未来に届くと、信じて疑わない。何としても息子を助け出すのだという確固たる信念をもって、人に罵られても後ろ指を刺されようと大怪我を負おうと、迷いなく大胆に行動する。

母は、必ず生きている息子を助け出すという信念を。
そして息子は、必ず生き抜いて母の元に戻る方法を見つけ出すという信念を、共に抱きその信念の貫くことがこの物語の大きな柱となっている。

同時に、非常時には必ず揺るぎない信念を持ったリーダーの存在が重要であることもよくわかる。児童が恐怖のあまり何度も忘れそうになる真の目的「生き抜く」ことを、何度でも思い出させるほどの信念を持った強いリーダーの存在。
そしてそのリーダーの存在は、大和小学校国にとってもっとも尊い国益である国民(児童)の命を守ることに繋がるのだ。



それでも人は生き続けなければならない

生物として生まれた以上、人間の目的は
「生き抜くこと」
それ以外他にないのだ。

単純なことであるが、私たちは欲張り過ぎてときどきそのことを忘れてしまう。

非常時でなくとも、どんな世界においても、「生き抜く」。このシンプルな答えがやがて固い覚悟となって、私たちの精神を助けてくれるだろう。『漂流教室』のように。

非常時になれば、生活必需品・インフラなど物理的な不備がでるのは十分に承知のうえで、今回は精神的側面から 『漂流教室』に学ぶ【心構え】に焦点を当ててみた。

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