やばい!占い・スピリチュアルにはまりそう!?
依存を踏み止まりたい時に考えること

「信じるものは救われる」という言葉がある。どうしようもないときに心底救われるのなら、どれほど信じ傾倒しようが構わない。しかし、足元を ” すくわれる ” のならば、信じる過ぎるのは考えものだ。
少しでも確実な安心が欲しいからと、的確なアドバイスと都合のよい未来を予言してくれる(=信頼できる)鑑定士が見つかるまで方々渡り歩き、気づけば予想外の出費。このまま進めば依存症か…深みにはまる前に踏み止まるにはどうすれば!?そう思えるまだ正気なうちに冷静になって考えるべきことを、 乏しい経験をもとに考察してみた。



言われた良い事・悪い事・的中率をしっかり控え覚えておく

一度占いを頼りにすると、なかなか抜け出せない。誰になんと言われようと、こうと思えば一直線、信じる気持ちは止められない。一方で、この泥沼にははまりたくないと感じる自分もいる。
私は元々見えない物やUFO・オカルトが好きなために、霊視占いというものに凝ったことがあった。占いやスピリチュアル自体を否定するつもりはない。ただ、信じるがゆえに悪いことには目を伏せ、良いことだけ信じる盲目的な姿勢がよろしくないのだ。

まずは、確固たるデータと根拠により、判断材を収集しよう。つまり、当たってる事・外れている事、的中率を冷静に整理する。そうすれば客観的に自分にとってその予想や占いが価値のあるものかを、見極めることができるからだ。
集めてみると、どのようのな性格かという曖昧な部分で当たっていることはあるが、具体的な整合性には欠けることがあるのではないだろうか。

また、電話でも対面でも話をうんうん聞いていると、ときに「あれ?」と思うことがある。何とも言えぬ違和感というか距離感。
以前、そこそこ有名な占い師の鑑定に行ったことがある。鑑定料はすごく高い、とは言えないが安くもない。一介の会社員にとってちょっといい店で飲めるくらいの、財布には痛い出費であった。
せっかくだから事前調査のつもりで、著書を読み心の準備も万端で占い師の元へ向かった。やはり全国へ出張するような占い師だけあり、独特の緊張感と迫力に圧倒されてしまった。

私にとってさして良いとは言えない鑑定の最後に、その占い師はこう言った。
「ま、君の場合前世に悪さしていたのも関係するからね」と。
それを聞いた瞬間感じた違和感…そうだ!と思い出したのが、事前に読んでおいた占い師の著書だ。そこには「前世のせいにする占い師は信用できない」と書いていたのだった。

「嘘をつくときは、少しの真実を混ぜるのがいい」という話がある。嘘に真実味が増すのだ。要するに少しの真実が入っていれば、多くの嘘も簡単に信じてしまえる。
よって、
良い事も悪い事も、一度整理してみることをおすすめする。

客はあなた一人ではないことを自覚する

「来年の〇年〇月までには結婚できているでしょう。」「来年の〇年〇月までには転職しているでしょう。」
人気の占い師にそう言われると安心感と嬉しさから、つい信じちゃう。(=良い事は信じる主義)
しかし、〇年〇月を過ぎようが一向に変化がない生活・・・あの占いは何だったの??
不安になってまた同じ占い師に、同じ質問をしてみる。すると今後は◇年◇月までに決まるでしょう。って、前回のことは無かったことに…
完全にバカを見た。バカを見たというよりは、自分が実にバカだっただけのこと。

鑑定料が高額になればなるほど、電話占いの時間が長ければ長いほど、親身になってくれる占い師は、あたかも”特別な存在”に思えてくる。しかしよく考えてみてほしい、客はあなた一人ではない。
信者化してしまった常客でない限り、占い師は数回だけのいちクライアントのことを、わざわざ覚えてやしなし、言った言葉はどこかへ消えてなくなっている。
「以前恋愛相談した〇〇です」や「以前離婚相談した◇◇です」と名乗ろうが、そんな客は巨万といる。人気占い師になればなおのこと、その客数は多い。
自分だけは当たるはず、自分だけには本当の事を言ってくれる、自分だけに寄り添てくれる…本当にそうだろうか?

数回しか行かない店で「いつもの」と注文するぐらいの思い上がりと赤っ恥であることを、自覚しておこう。

なぜ自分と同じ俗世に生きるのかを考える

霊視ができたり、守護霊や神様とまで話ができる。自分にはない摩訶不思議な能力の持ち主には無条件で尊敬してしまう。私自身神社が好きで神様はいると信じているし、見えない世界と通信できることは、本当かもしれない。だからと言って救いの言葉を語るスピリチュアルカウンセラーや占い師を教祖のように崇め、自ら信者となってよいものか。

究極的な話をすると、もしある人間が何でも見通せる神のような存在だとすれば、なぜ自分と同じ、お金がほしい・もっと幸せになりたいという欲を持ったこの世界に生まれてきたのだろうか?聖人ならば、もはやこの世に生まれる理由がなくはないだろうか。
しかし実際には、美味しいものが好きでお酒の嗜み排便もする。これつまり、人間!
(明治時代に、万病に効くという神水と呼ばれる水を何もないところから取り出すなど、数々の不思議な現象を起こした長南年恵は、ほとんど食事をとらず排泄物もほとんどなかったという。)

当然だが、よほどの超能力を備えていない限り、自分の未来を見通せて生まれてきた人間はほぼいないだろう。
にも関わらず、自分だけが未来を知りたいとは、なんと強欲なことか。
強欲にも未来を知って不安を解消したいと奔走するよりは、よく食べよく寝よく動き、どんな未来が待っていようがどんと来い!と、すべて受け止める強い心を持つ方が、いくらか簡単である。

以上、私はここで不思議な力や見えないものを否定しているわけでない。むしろそのような世界が好きなのだ。だからこそ危険な方向へハマりかけてしまうのだ。どっぷりハマりたいならこの文章自体読む必要はない。しかし本望ではないにも関わらず、無駄に金銭をつぎ込んでしまうようなら、自ら律することで軌道修正はできるだろう。


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