「最近の若者が好むものは、何が良いのかさっぱり理解できない。」恐らくこの言葉は、昭和でも使われ明治でも江戸でも平安でも、もしかしたらローマ帝国でも使われていたかもしれない。
しかし、最近の事情は何だか違う気がする。
『ラ・ラ・ランド』に、『君の名は』
2016年に公開されアカデミー賞に輝いた 『ラ・ラ・ランド』。
私は元来流行りにうとく乗っかれないため、ヒットしていることは知っていたが劇場にわざわざ足を運ぶことはなかった。それでもミュージカル映画は嫌いではないため、大ヒット上映中に見に行った友人数人に感想を聞いていた。
一様に「まったくおもしろみがなく、何が良いのかわからない」ということだった。
その後機会に恵まれ『ラ・ラ・ランド』を鑑賞した。つまらないどころか、見た後も余韻が残る、実におもしろい映画であった。 一度だけでなく、何度か見るくらいお気に入りの作品となったほどだ。
同じく2016年に日本で大ヒットした『君の名は』でも、同様の現象を感じていた。
公開と同時に見た上司は口を揃えてこう言った「何がおもしろいのかわかない」
50代の上司は高校生の子供と鑑賞。子供は大いに感動し大好きな作品になったが、父である上司はおもしろさが理解できなかったらしい。
また60代の上司(役員)は、ヒットしていると聞いたから見に行ったものの、何がおもしろいのか一向に分からなかったと。
こちらも公開から翌年以降に鑑賞してみた。
「そりゃヒットするよ!」と大納得するくらいに良い映画であった。
ちなみに、小学生の甥もおもしろいと何度も鑑賞したのだった。
「もののあはれ」を詠う瑛人の『香水』
『ラ・ラ・ランド』や『君の名は』は、なぜあんなにも賛否が分かれるのか?
そんな疑問を抱きつつ、しばらくはその疑問を忘れて過ごしていた。
しかし令和に入って突如その疑問を再燃させてくれるある一曲が、若者を中心にヒットしたのだった。
それは、シンガーソングライター・瑛人の『香水』
「ドルチェ・アンド・ガッパーナ」の部分がやたら耳に残るあの曲だ。それゆえマイナス意見が多い曲でもある。
『香水』の歌詞を百人一首の現代語訳風に紹介すると、
久方ぶりに元恋人と再会し、厳しい時の流れとともに変わってしまった自身の心を恥じながらも、前より大人びた元恋人に戸惑っているよ。
彼女の懐かしく甘い香りは、変わってしまった私の心を以前に戻してくれるような、哀愁に似た愛おしさを覚え、また彼女を好きになりかけている自分がいるよ、うまくいかない関係だと分かっていながも。
という何てことはない煮え切らぬ男の心情を表現した内容だ。
しかし、この一見何でもないセンチメンタルな時の流れを、抒情的に延々と描いているところがすばらしいのだ。
『ラ・ラ・ランド』も同じ。
夢を追う恋人同士が切磋琢磨し、互いの夢をようやく叶えることができた。しかし夢が叶ったときには、二人は離れ離れになっていたよ。
もしも二人が恋人同士のまま互いの夢を叶えることができたらなら、また違う未来を送っていたに違いない、二人が一緒にいる未来という夢は、もう決して叶えることはできないけれど。
『ラ・ラ・ランド』と、瑛人の『香水』、この二つの作品に触れ思い出すのが、鴨長明『方丈記』 の有名な一節だ。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 」
川が様子を変えながら流れるように、形あるものは壊れ、時の流れひとつ所に留まることはない。
ものごとは変わってしまうものだと分かっていながらも、その無常なひとときに、心を注がずにはいられないことを、どちらの作品も 大掛かりに表現しているのだ。
『君の名は』はどうだろうか。
こちらも主人公の心の動きを要約すると、
身体が入れ替わったり非日常で壮麗なる出来事が次ぎから次へと起きてしまったが、もしかするとそれは一夜の単なる夢なのかもしれない。
たとえ夢だとしても、夢で会った愛しいあの人に会ってみたいものだよ。
こちらも百人一首の現代語訳風にまとめてみたが、実際『君の名は』の新海誠監督は、古今和歌集にある小野小町の和歌『思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを』から着想した作品だという。
どうりで雅なわけだ。
的確な言葉にはできないけれど、心に涼やかな風が通り過ぎるような愛おしくしみじみとした感情が、小さく胸にこだまし、つい立ち止まってしまいたくなるような何気ない感覚。
その心の揺れを一言で表現したのが、 『もののあはれ』
いずれの作品にも『もののあはれ』を感じる佇まいがある。
『もののあはれ』との言うべきしみじみとした感性を今の若者は評価し、一方の昭和生まれはそれを否定する。
Tシャツでも文房具でも何でも英字で書かれてあればオシャレなのだと、欧米文化やグローバルが神のようにあがめられ、古い=ダサい=悪 とされた昭和に生まれた40代~60代が、現在社会の第一線を走っている。
そんななかにあって、日本の古典美を見出すような作品が若年層を中心にヒットする。
ここでは何も昭和生まれの自分は、今の若者の流行が理解できるという自慢をしたいわけではない。 昭和生まれの私たちは、もしかすると進化しすぎて「あはれ」に浸る方法を忘れてしまったのかもしれない。
しみじみとした美的感性を瞬間的にキャッチできる今の若年層に関心しつついろいろ検索していると、 ズバリMONO NO AWARE(モノノアワレ)なるバンド(2013年結成)まで存在していた。
彼らは、ものすごく深い部分で日本文化を理解し継承する、尊い文化人なのではないだろうか。
近年のヒットの裏に「あはれ」や「をかし」といった趣を深く感受する”復古の精神”が隠れていることを見つけたはいいが、これから先復古に目覚めた若者が率先する文化は、一流歌人にしか分かり得ない高度な文化的極みに到達するかもしれない。
そんなときは悔し紛れに、「最近の若者の流行りは理解できん!」なんて声を荒げて言ってやろうと考えている。