誰かが「お前には無理だ」と言うから、自分には無理な気がする。やる気が十分にみなぎっていれば、そんな言葉は簡単に跳ね返せるだろう。しかし、自信を失いかけている時、本当に実現できるか不安になった時には、そんなちょっとした心の隙間に、他人が言った否定的な言葉が闇夜のように占拠し、やがて他人の評価が自分の考えになるまで占領されてしまう。他人の評価に左右されたくなけば、漫画『ドラえもん』の「かがみのない世界」と「うそつきかがみ」の2つの「鏡」を参考にし、他人がする嫌な評価は早々に笑い飛ばしてしまうことをおすすめしたい。
◆目次
「かがみのない世界」と「うそつきかがみ」
『ドラえもん』には、鏡に関する多くの話がある。その中からまず2つの話について見ていき、「鏡」がどのように「他人の評価」に繋がるのかを解説したいきたい。
「かがみのない世界」とは
まずは、てんとう虫コミック27巻に収録されている「かがみのない世界」から紹介する。
鏡を見ながら自分の顔は漫画みたいな顔だと嘆くのび太は、こう言う。
「誰もが自分の顔を知らなければ、引け目を感じる者も、うぬぼれる者もいないのに」
それを聞いたドラえもんは”もしもボックス”に、「誰も自分の顔を見たことがない世界」をリクエストしてみた。
化粧をする時もひげを剃る時も、鏡はない。窓ガラスに顔は映らないし、カメラもない世界。誰も自分の顔を見たことがない世界で、スネ夫は”似顔絵”と称して美少女を描いては、自分の顔を見たことがない女子たちを喜ばせていた。またジャイアンも、自分の顔を撫でては「俺はどうして男らしくりっぱな顔をしているのだろう。」と思いのままに自画自賛を楽しんでいた。
せっかく鏡のない世界に来たはずが、結局ドラえもんとのび太は、”箱入りかがみ”という名の実世界で言う”等身大の箱に入ったただの鏡”により、鏡のない世界で生まれて初めて自分の姿を見た人々の反応を楽しむとになる。
ちなみに、生まれて初めて自分の姿を見たジャイアンは「ゴリラのような生意気な男」、スネ夫は「狐のようなずるくて感じの悪い奴」、しずかちゃんは「可愛い女の子」とそれぞれ自分自身を評価した。生まれて初めて自分の顔を見た者は一様に、鏡の前に立つ自分の姿を”別の誰か”と勘違いするのであった。
「うそつきかがみ」とは
『ドラえもん』の傑作の一つとして騒がれる有名な「うそつきかかがみ」は、てんとう虫コミック2巻に収録されている。ストーリーは、ドラえもんが部屋に置きっぱなしにしていた1枚の鏡から始まる。鏡を覗き込んだのび太は驚いた。今まで自分は”漫画みたいな顔”だと思っていたが、鏡に映るのはキラキラお目目の美男子。
その鏡の名は「うそつきかがみ」。「うそつきかがみ」は極度に美化した姿を映すだけでなく、話すこともできる。「あなた様は世界一素晴らしい!私は真実を映し、真実を語る鏡です」と、そしてもっと良くなるためのアドバイスもくれる。「眉を寄せて、男らしく口元はきりりとへの字口に、髪は無造作に、目は互い違いに・・」出来上がったのび太の理想的な顔は、爆発コントのような破壊的な仕上がり。この無責任でデタラメなアドバイスこそ、”うそつき”と言われる所以である。のび太のママも嘘のおだてに乗って、美容室に行く始末。それも”ちょんまげ”頭にするために。いつも調子に乗らないしずかちゃんも、「うそつきかがみ」の言いなりで、目も当てられないオブスな表情。
「ばか!鏡のお世辞なんか本気にして!」と怒るドラえもんに邪魔されないよう、のび太は裏山に「うそつきかがみ」を持ち出した。「うそつきかがみ」に魅了されるのはのび太だけでなく、鏡を見つけた小学生たちが、次々に鏡の前で恍惚の表情を浮かべ、鏡から離れられない鏡中毒症状になる。
子供が帰宅しないとママたちは大騒ぎ。立腹したドラえもんが鏡を割ろうとすると、反省するから壊さないで懇願する「うそつきかがみ」。反省した鏡が「あなたの顔はこんな顔です」と映したのび太の姿は、美男子の跡形もなく目鼻口がバラバラになったピカソの絵のようなへんてこな姿へと変わり果てていたのだった。
鏡=他人の評価
ひとまず、上記で紹介した2つの話の「鏡」に当たる部分を、「他人からの評価」と言い換えてみてほしい。
「かがみのない世界」で、「誰もが自分の顔を知らなければ、引け目を感じる者も、うぬぼれる者もいないのに」というのび太の言葉の、鏡の部分を「他人の評価」に代えてみるとこうなる。
「”他人の評価”がなければ、引け目を感じる者も、うぬぼれる者もいないのに」
そして、「うそつきかがみ」での言葉を「鏡」から「他人の評価」に置き換えると、
「真実を映し、真実を語る”他人の評価”」
「ばか!”他人”のお世辞なんか本気にして!」
となる。
面白いことに、「鏡」と「他人の評価」を入れ替えても、さほどの違和感はない。
もしも鏡がない世界ではなく他人の評価がない世界があるならば、人は他人と比べることがない。したがって「かがみのない世界」のジャイアンのように、自信に満ち自分に誇りを持ち、他人に引け目を感じることはないのだ。
では、「うそつきかがみ」の「鏡」を「他人の評価」に変換した言葉、「真実を映し、真実を語る”他人の評価”」はどう解釈できるだろうか?
他者の評価は、真実なのか?
そもそも、「真実を映し、真実を語る”他人の評価”」自体が存在するのだろうか。
ある一人の有名人がいるとしよう。ファンや世間から賞賛もあれば、バッシングといった低い評価もある。現代はSNSが普及し、気軽に他人からの評価が受けやすい時代になってしまった。そのため、ファンはほぼ匿名で自由にそして無責任に、いくらでも批評ができてしまう。そう、他人からの評価とは真実どころか、”無責任”であることがほとんどだ。
「真実でないのであれば、信じるに値しない。」それがまっとうな計算式だろう。
また「うそつきかがみ」が美男子に映していたのび太を、反省後には奇怪な姿にして映したように、他人の評価とは、他人の都合によって常に変化するのだ。要するに当てになるものではない。
しかし実際はどうだろうか。他人からの評価こそが、自分の真実の評価だと思っていちいち落ち込んでいやしないだろうか。たった一人の他人の評価が大勢の批判に思えて、次第に自分の価値観をも塗り変えられてはいないだろうか。そんな時はぜひ「うそつきかがみ」を思い出してほしい。
無責任な「うそつきかがみ」は、きっとあなたにこう言うだろう「目の周りを黒くした狸メイクにボロ着ルック、靴を互い違いに履いて、小脇にゴミ箱を抱えて”あかんべえ”をするともっともっと美しくなる」と。そしてあなたは真面目にその通りにして街へ出かける。しかしその姿、可笑しくはないか?そんな恰好ておきながら真剣な表情で歩く人間と道端ですれ違ったら、ばかばかしくて二度見どころか直視するだろう。
他人の否定的な評価を真に受けるというのは、このばかばかしさと同じである。
もしも他人に言われた事が頭から離れず、劣等感にさいなまれているなら、想像してみてほしい「うそつきかがみ」に映るあなたの姿を。
「うそつきかがみ」は他人の評価に対し真剣に悩むあなたが、いかに滑稽で面白い姿であるかをきっと気づかせてくれるだろう。
ドラえもんは「うそつきかがみ」を見せろとせがむのび太に「うそつきかがみは、あまり見ない方がいい」と言っている。つまり他人の評価は「聞かない方がいい」ということである。
良い事も言えば悪い事も言う「うそつきかがみ」に左右されず、信じる方向を見ればよい。