引眉にお歯黒、なのに美しい!
妖艶すぎる有馬稲子が罪な「夜の鼓」

数年前にたまたまテレビで放送していた1958年の日本映画。有馬稲子のあまりの美しさに驚愕した「夜の鼓」を紹介する。


あらすじ

近松門左衛門の『堀川波の鼓』が原作の映画。鳥取藩の小倉彦九郎(三國連太郎)は参勤交代で1年2カ月の間家を空ける。美しい愛妻お種(有馬稲子)に会える嬉れしい気持ちで帰郷したものの、周囲の様子がおかしい。どうやら彦九郎の留守中に、妻のお種と鼓の師匠である宮路源右衛門(森雅之)との不義密通があったような。鬼の形相で追い詰める彦九郎に、止む得ない理由を隠し切れなくなり白状する可哀そうなお種、そして周りを引っ掻き回す彦九郎の同僚・磯部(金子信雄)。

さて裏切りに怒り狂う彦九郎がとった行動とは!?という、簡単に言うと不倫愛憎時代劇。それにしても、金子信雄ほど姑息な役がしっくりくる俳優はいない。

魔性を感じる俳優陣

彦九郎の愛して止まない妻お種との不義密通が噂される鼓の師匠を演じるのは、森雅之。ゆったり厳かに、そして怪しく響く鼓の音と共に森雅之が登場した時から、この物語の筋は大方予想されていた。なぜなら、森雅之の色気が尋常でないからだ。知性を感じる凛とした佇まいである一方、彫の深い奥目から感じる本能的な野心と相反するデカダンス。そこにいるだけで匂い立つ男の色気。いい具合に力が抜けていて、隙だらけ。女から見ると、恐ろしいと分かっているのに惹きつけられる、パンドラの箱のような憂いを感じる俳優である。

主役の彦九郎を演じるのは、三國連太郎。三國連太郎と言えば、役作りのためには手を抜かず前歯を全部抜くといった逸話があり、「怪優」の異名を持つ。この映画でも一切手を抜かず、有馬稲子を殴るシーンでは本気で何度も殴ったのだとか。妻に恋焦がれる時の三國連太郎は真面目一本やりの好青年、ひとたび妻の不義が発覚すればその表情はみるみるうちに憑りつかれたような荒涼たる恐ろしいものに。また不義の相手森雅之を追い詰めるシーンでは、もはや鬼畜と化し、演技をする森雅之も何をしでかすかわからない三國連太郎を、本気で恐れていたらしい。見ている方も恐怖で逃げ出したくなるほど、演技を越えた殺意すら感じる怪演。

後述する有馬稲子にも言えることだが、この3人の主人公に共通して感じるものがある。陰と陽で言うと「陰」、光と影でいうと圧倒的に「影」、闇の住人であるかのような「魔性性」である。三國連太郎または森雅之が、三船敏郎や長谷川一夫ではこの映画は成立しなかったのではないだろうか。ただの黒色を先の見えない暗闇のように映し出すモノクロ映画である以前に、この主人公らが元来持つ妖艶な魔性が、おどろおどろしい愛憎劇を一層闇深く濃いものにしている。



その美貌、妖怪級

冒頭で述べた通りこの映画で最も驚愕したのが、有馬稲子の妖怪級の美しさだ。江戸時代の既婚女性の風習である「お歯黒」と「引眉」を施した顔が、白黒で映るものだから普通なら大画面に耐えがたい醜女(しこめ)になるはずだ。それが、例を見ないほど美しいのだ。女性のお歯黒は夫に対する貞節の印らしいが、有馬稲子の美貌にかかれば、貞操を守るためのお歯黒が、24時間警備が必要なほど悪い虫を惹きつけるお色気アイテムになってしまう。

妖艶さに加え、不義があったのかどうかはっきりさせず腹の内を見せない女の意地と、反して夫に従順に時に暴力にも応じるという忠節な姿が、お種の神秘性を強いものにしている。

劇中の『待って』というセリフでは今井正監督からのオーケーが出ず、100回ほど演じた後に『3つ前がよかった』と、今で言うパワハラめいた厳しい要求があり、有馬稲子の精神は崩壊寸前だったという。三國には本気に殴られ、監督からの無理難題に振り回され疲れ切り、うら悲しさが自然とスクリーンに出てきてしまったことが、結果的に有馬稲子の「魔性の美」を引き出したとしたら、何とも皮肉なことだ。


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